BLOG
令和6年度 夏季休業前 校長挨拶(骨子)
新しい学年となって4ヶ月近くが過ぎました。年のはじめ、あるいは年度のはじめに人は様々な願い事や決意をするものです。年度が始まって4ヶ月近く。その思いは色褪せてないでしょうか。とりあえずは一区切りです。夏休みもいろいろ忙しいとは思いますが、自分のありようについて振り返る機会としてもらいたいと思います。
最近「~でいい」という言い方をあちこちで聞きます。「~でいい」とは何なのでしょうか。始業式において、失敗することを恐れる人が増えているのではないかという話をしましたが、求める水準を下げれば確かに失敗は減るし、その結果傷つくことも減ります。しかしそれで何が得られるのでしょうか。「自信」や「納得」につながるのでしょうか。「~がいい」を追求したいものです。
人にとってとても大切なものはいろいろありますが、そのひとつに「矜持」というものがあります。「矜持」とは、誇りとか自負とかプライドのことです。こんな自分でいいのか。弱気に苛まれた時やまずい方向に向かいそうな時、それを押しとどめるものは己の矜持です。毎日の生活はうまくいかないこと、自分の思い描く通りにならないことの方がたぶん圧倒的に多いと思います。そうした時、人はしばしば努力を放棄し、誰かのせいにし、その誰かの悪口を言ったりします。誰かが悪いということにすると人はどこかで安堵しますし、そもそも人は悪口が大好きです。人間の性(さが)と言ってもいいかもしれません。旭川出身の作家で三浦綾子さんという方がいます。もう四半世紀も前に亡くなってしまったので、彼女の本を手に取ったことのある人は少ないかもしれませんが、彼女はしばしばこの問題について触れています。仲の悪い者同士でも共通に嫌いな人間の悪口をいう時だけは友達になれるなどということも言っています。悪口でつながっている人間関係はリアルでもネット上でもよく見かけます。誰かを悪く言うことはその人物に対し優越的な気持ちになるということであり、劣等感の裏返しでもあります。でも、なぜうまくいかないのかは本当は自分が一番よく知っているのではないでしょうか。他人を貶めて慰めを得るのではなく、前に進もうとすることでしか「自信」や「納得」にはつながらないと思います。こんな自分でいいのかと常に自分に問いかけ、「矜持」を持って行動してほしいと願います。なお、誤解されないように付け加えると、自分の責任でないこと、自分の努力ではいかんともしがたいこと、たとえば家庭の事情であったり健康上のことであったり理不尽な被害にあったり・・・これらは努力が足りないわけではありません。助けを求めたり権利を主張していいのです。この国は法的にはそれが認められた国なのですから。
自分の中にある「心映え」の良さも大切にしてもらいたいと思います。心映えとは、 気立てとか思いやりとか心配りとかいう意味です。教員生活を送っていて悲しいことはいろいろありますが、進路が決まったり、部活を引退したり退部したりすると態度が豹変する、そういう生徒と向き合うのはその最たるもののひとつです。これまで一体自分は何をし何を伝えてきたのだろうと思い、とてつもない無力感に苛まれます。こういう人は社会にもよくいます。例えば、まもなく自分は退職するからとお客様に「いい態度」をとる人がいます。しかしこういう心は悲しくないでしょうか。自分はこれを「機を見て行動する賢い生き方」などとは思いません。常に変わらぬ誠実さ、それは人の心を温かくしますし、誠実な態度がとれることもまた矜持、すなわちプライドある生きざまだと思います。みなさんには常に「本当にそれでいいのか」「本当にこんな自分でいいのか」「こういう行動でいいのか」と自らに問い続けてほしいと思います。人がどうであろうとも自分はそうするという小さな行動原理があってよいと思います。
さて、8月は原爆が投下され、終戦を迎えた月です。来年は戦後80年。戦争体験があってそれを覚えているのは80台後半以上の人でしょう。遠からず体験者はいなくなります。昨月は沖縄戦の組織的抵抗が終わった月ということで、マスコミでもいろいろ取り上げられていましたが、この8月はパリオリンピック・パラリンピックもありますし、戦争関係の報道は目立たないかもしれません。しかしこの月くらいはぜひ戦争に思いを寄せてほしいと思います。
では、元気に夏休みを過ごしてください。