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令和7年度 夏季休業明け集会 校長挨拶(骨子)

夏休みが終わりました。3年生にとっては、進路決定に向けた勝負の時がやってきました。「進路のしおり」の巻頭言にこんなことを書かせてもらいました。
「進路実現には努力が求められる。そして努力は必ずしも報われるとはかぎらない。しかし努力がなければ、そもそも報われるも報われないもない。進路選択とその結果に対する自信も納得も、すべて努力が前提となる。どうか努力する時間を積み重ねてほしい。その時間の積み重ねがきっと自分に自信と納得をくれる。そしてその努力を支えるのは、自分はこんなものではないという『プライド』である。」
3年生が力強く進路を切り拓いていってくれることを祈っています。

さて、夏季休業前集会で申し上げた通り、今回は戦争と平和の問題を取り上げたいと思います。

今年は戦後80年になります。みなさんの親御さんはもちろんのこと、祖父母の皆さんですら多くは戦後生まれかもしれません。先の戦争はもうずいぶん昔の話です。圧倒的多数が戦争未体験者の中、戦争と平和の話をすると、反発を受けることも、もう何度も聞かされてうんざりだという反応をされることもよくあります。みなさんの中にもそういう気持ちの人がきっといると思います。しかし、歴史が好きな人ならおそらく同じように感じると思いますが、歴史は螺旋階段のようなもので、人類は何度も同じようなことを繰り返してきました。今私は「戦後80年」と言いましたが、同じようなことを繰り返してきた人類の歴史を振り返って、戦後ではなくあくまでも「戦間期」に過ぎないと言っている人もいます。江戸時代のようにこれからまだまだ長くまがりなりにも「平和」が続くのか、多くの皆さんが生きているあと何十年かの間に再び戦禍がこの国を見舞うのか、それともその日はもうすぐそこまで来ているのか、それはわかりません。渡辺白泉(わたなべはくせん)という俳人は、「戦争が廊下の奥に立つてゐた」という句を詠んでいます。気づかないうちにもう引き返せなくなっている、そういうことだと思います。
さて、私が子どもの頃には、先の戦争については、わが国の非や、特攻をはじめとする常軌を逸した戦い方が生んだ悲劇、選択した政策の愚かさばかりを教えられてきましたし、報道なども概してそうでした。常軌を逸したやり方や愚かな政策への憤り、亡くなった方への哀悼の念は強く感じつつも、私はその教えや報道に強い違和感を持っていました。日本軍は各地で残虐行為を行ったと言われます。デフォルメされた情報もあるとは思いますが、戦争という極限状態の中でそれはおそらくあったことだろうと思います。しかし、広島、長崎に原爆を投下し、また日本の各都市を空襲して、何十万人もの一般市民を殺戮したアメリカの行為はジェノサイドとは言わないのか。日ソ中立条約を一方的に破棄し、条約の適用期間でありながら満州に侵攻して在留邦人に残虐行為を働き、降伏した日本兵を国際法に違反してシベリア等に抑留して大きな犠牲を出したソ連の振る舞いはどうして咎められないのか。植民地支配についても、敗戦国は非難されるのに、それよりはるかに大きな植民地を有しその地域の人々を抑圧してきた戦勝国はなぜ問題にされないのか。そもそも支配されていた側の人々の声はどうして届かないのか。そう思ったのです。
誰が何を言おうが、どんな理屈をつけようが、戦争は命の重みに差をつける行為です。殺してよい命と守らなければならない命を分けるという行為です。たとえ戦時でなかったとしても、命の重み、命の価値に差をつけようとする発想、すなわち差別は、遺恨を生み、いつかは命のやり取りにつながっていきます。私は戦争は絶対悪だと思っています。命の選別につながっていく差別も絶対悪だと思っています。人はしかし、差別に理由をつけ、また戦争を「美しい物語」にしたがります。もちろん戦争で身内を、大切な人を亡くした人にしてみれば、その死が納得のいくストーリーであってほしい、きちんと慰霊されてほしいというのは遺族感情として当然のことです。そのことを全く否定はしません。しかし、遺族でもない人間たちが戦争を「美しい物語」にしたがるのには異なる意図があるからだろうと思います。例えばガザから流される映像を見て、あのように無惨に人が苦しみ死んでいく様を見て、どこに「美しい物語」があるというのでしょう。世界の現実は厳しく、対立と戦火は止みません。きれいごとを言うなという人もいるでしょう。しかし、以前も紹介しましたが、ユネスコ、すなわち国連教育科学文化機関の憲章の前文には、「戦争は人の心の中で生まれるものであって、人の心の中に平和の砦を築かなければならない」とあります。戦争への道を止めるには、少なくとも大きく遅らせるには、戦争の「痛み」というものをきちんと語り継ぎ、「痛み」の記憶を共有するしかありません。他者の戦争であったとしてもその「痛み」をリアルに直視するしかありません。何度もいいますが、戦争を「美しい物語」にしてはならないのです。「美しい物語」として受け止めてしまうような心を作ってはならないのです。亡くなった、先のローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇は、「戦争は人間性の敗北である」と言っています。修学旅行で行く広島平和記念公園の原爆慰霊碑には、「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから」と刻まれています。これは日本人だけに向けたものではなく、日本人を含め全世界に発した言葉である、誓いであると私は思います。
みなさんは未来社会の担い手です。世界で戦火が絶えない中、苦しみを受けている人々に思いを致すこと、世界を水平な眼差しで見ようとする姿勢を持つこと、ぜひそれを心がけてください。それがみなさんの上に戦禍が降り注がないための第一歩であると私は思います。

夏休み明けに重たい話で申し訳なかったと思いますが、夏は私たち日本人が、忘れがちな戦争と平和の問題に最も意識が高まる時期だと思いましたので、あえて話させてもらいました。これで夏季休業明け集会のお話を終わります。