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令和7年度 前期終業式 校長挨拶(骨子)

前期が終了しました。1年の折り返しです。まだ学年の半分です。自分にとってよい学年となるかどうかはこれからが勝負です。健闘を期待しています。

さて、前期の終わりには、「言葉」について話そうと思います。

わが国にはいまだに「言霊信仰」があると言われています。言霊信仰とは、「言葉には霊力があり、言葉を口にすればその通りになるという考え方」です。良い言葉を口にすれば良いことが起き、悪い言葉を口にすれば悪いことが起きる。だから悪い言葉は口にしてはならないと考えられています。「験担ぎ」や、何か言って「縁起の悪いことを言うな」と怒られたりするのはその典型的な例です。日本人は最悪の事態を想定しながら事業計画を立てたりするのが苦手で、希望的観測(願望)に基づいて企画しがちとも指摘されています。それは、「最悪の事態を想定して計画すると、最悪の事態が起きてしまう」という意識が無意識に働くからだと言われています。
言葉には人を動かす力があります。生きていれば苦しいこともあります。ここが勝負どころという場面もあります。そんな時に自分を支える、自分に勇気を与える言葉を持ちたいものです。難しい言葉でなくてもいい、スポーツ選手やアーティストなどの言葉もいいと思います。
つらい時、うまくいかない時に、人は例えばこんなことを言ったりします。難しいところでは、「人間万事塞翁が馬」という言葉があります。これは中国の故事から来た言葉で、「幸せが不幸に、不幸が幸せにいつ転じるかわからないのだから、安易に喜んだり悲しんだりすべきではない」という意味です。昔は国語の教科書によく出ていましたが、最近はどうでしょうか。わかりやすいところでは、「明日は明日の風が吹く」というのがありますね。
未来が見通せず不安な時には、「人間到る処青山あり」という言葉があります。青山とは骨を埋める場所のことで、人間には骨を埋めることができる場所がいくらでもあるということから、転じて「今いる場所がすべてではなく、人はどこででも活躍できる、あるいは必ず活躍できる場所がある」というように解釈されています。
あまりにも辛かったコロナの時に、ありふれているけれども力になった言葉があります。「止まない雨はなく、明けない夜はない」とか「1日で最も暗いのは最も夜明けに近い時間である」と言った言葉がそれです。これらの言葉にどれだけ救われたかわかりません。
私の好きな言葉を2つほど言います。ひとつは、よくお寺の柱に貼ってあったりしますが、「一隅を照らす」、ひとすみを照らすという言葉です。天台宗の開祖である最澄が僧を養成するために定めた修行規則の「山家学生式(さんげがくしょうしき)」の冒頭にある言葉です。詳しい話は省略しますが、最澄は「一燈照隅 万燈照国」という言葉、「一人一人が自分の身近なひとすみを照らす。それは小さなあかりかもしれないが、小さなあかりが集まって万のあかりとなったならば、国全体を照らすことができる」という意味の言葉を残しています。誰かが輝くその陰には多くのそれを支える人々がいる。そういう人々がいてこそその人は輝くのだ。一隅を照らすことは尊い。その一つ一つの営みに敬意を払い、自らもひとすみを照らそう。そう自分に呼びかけるわけです。そしてもうひとつは「Good Luck」という言葉です。幸運を祈るという意味です。何かに挑もうとする人にかけたりする言葉ですが、自分でもここぞという時につぶやいたりします。
以前勤めていた学校では、正月明けに生徒会がカレンダー募金というのをやっていました。校内で呼びかけたり企業から提供してもらったりして集めたカレンダーを販売して、その益金をユニセフに寄付するというものです。コープ(生協)が協力してくれてイベントスペースを提供してくれます。あちこちの生協でいくつもの高校が行っています。そこに毎年書道部が自作のカレンダーを提供していました。1枚物で、下部に暦があり、上部は空白になっていて、そこに字を書くことも絵を描くことも写真を貼ることもできるという物があります。書道部ですから当然そこに字を書くわけです。毎年カレンダー募金の激励に行っては、気にいった作品を買って(募金して)きて、部屋の壁に貼っていました。この学校に来る時、特に気に入った3点だけを持ってきて、校長室の壁に貼っています。気になる人は見に来てください。ひとつだけ紹介します。それは「高ければ高い壁の方が登った時気持ちいいもんな」(誰かの歌の歌詞らしいです)という作品です。苦しい時に眺めて元気をもらいます。
皆さんも自分を支える、自分に勇気を与える、そんな自分のための「言葉」を見つけてみませんか。