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令和7年度冬期休業前集会校長挨拶

今年もまもなく暮れようとしています。個人的な出来事は別として、最近は、さまざまな情報が、次から次へとものすごいスピードで、かつ大量にもたらされるために、少なくとも私は頭の整理がつかず、「2025年はこういう年だったなあ」という具体的なイメージをなかなか持てずにいます。国内で言えば、米不足や物価高、熊問題、各方面でセクハラ問題が顕在化したこと、選挙イヤーで世の中の空気が変わったことなどは印象深いですが、北海道にいるからでしょうか、盛り上がったらしい大阪関西万博にはあまり強い印象を持てていません。ただSNSの功罪、特に「罪」の部分が急速に肥大化した年だったなという感覚は強く持っています。

イギリスのオックスフォード大学出版局が毎年11月に発表する「Word of the year」に「ポスト トゥルース」、すなわち「事実より感情が優先される社会状況」、「人が事実ではなく自分が信じたいことを信じる状況」を意味する言葉が選ばれてから9年が経ちました。今や根拠も示されない情報が真実であるかのように流れ、それを受け取る側も「ファクトチェック」なしに受け取って拡散するということが常態化するようになりました。先日私の知人の一人が(かなり考えなしの奴ではありますが)、facebook上で外国人に関するフェイク情報の拡散をしているのを見かけて愕然としました。政治家や経済人のような公的な立場に立つ人、専門家で本当は真実を理解しているであろう人、こういう人たちが平然と、そして積極的に、フェイク情報を垂れ流し、異なる立場の人への攻撃を誘導したりするようなことも行われるようになりました。
発言次第では炎上するとか、狙われたら攻撃されるというのでは、人はしだいに口をつぐみ、世の中の空気に忖度するようになってしまいます。何年か前に、政府の方針を批判したり賛同しない人間を「サヨク」とくくって攻撃したり冷笑したりする風潮がありました。私も「宮路さんはサヨクだねえ」と言われてひどく傷ついたことがあります。
2021年のノーベル平和賞にはフィリピンとロシアのジャーナリストが選ばれました。受賞者の一人は、受賞スピーチの中でSNSを介したフェイクニュースの拡散や世論操作について警鐘を鳴らし、これらは一種の暴力であるとして、「私たちを互いに対立させ、恐怖や憎しみを引き出し、世界中で権威主義者や独裁者が登場する舞台を用意している」とまで言いました。それから4年。世界はその通りに進んできているのではないでしょうか。
悪口は、コンプレックスや不満の裏返しであるとはよく言われることで、その矛先は必ずしも強者に向かうとは限りません。むしろ攻撃しやすい弱者に向かうことしばしばです。
人間はとても複雑で奥深い存在です。長所もあれば短所もあります。絶対善とか絶対悪などあり得ません。欠点を見つけるにはたやすく、憎しみは広がりやすいものです。逆に人のよいところは意識しないと見つけにくく、わかり合おうとしなければお互いの理解は進みません。みなさんには誰かの流した情報ではなく、自分の目で、自分の耳で、研ぎ澄まされた自分の感覚で物事を判断してほしいと思います。

来たる2026年、世の中が「正気を取り戻す」きっかけとなる1年であってほしいと強く願います。みなさんにとって来年がよい年でありますように。