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前期終業式 校長講話

こんにちは!令和4年9月27日(火曜日)前期終業式の講話を始めます。

本日で前期が終了します。一つの節目を迎えました。
そして午前中までは、鶴岡学園創立80周年記念と銘打った体育大会が、新校舎移転後初めて開催されました。みんなが汗を流しスポーツを楽しむ姿、クラス一丸となって取り組む姿、好プレーや珍プレーの数々に歓声や笑いに包まれた会場、みんなの笑顔、私は、心底嬉しくほほえましく見ていました。この光景が毎年の行事となって継続されることを願いました。会場内では、審判等を担当してくれた部活動やレバンガU18の皆さん、会の運営に協力してくれた皆さん、何よりも新旧の生徒会執行部の皆さんの姿は頼もしかったです。本当にご苦労様、そして有難う!

さて、前期を終えるに当たって、今日は二つお話したいと思います。
一つ目は、数をこなすということについて、二つ目は、生きていることについてです。

皆さんも知ってのとおり、先日、2年2組、内藤耀悠(てるちか)君が、Bリーグ初の「ユース育成特別枠」の選手として登録され、その記者会見を本校で行いました。
その時には、㈱レバンガ北海道 折茂武彦社長と、トップチーム佐古賢一ヘッドコーチも同席してくれましたが、その記者会見を前に控室ではお二人から内藤君へのシュートに関するアドバイスがありました。

「俺たちは何万、何十万回、何百万回かも知れない程、シュートを打ってきたよ。そうした中、ある時シュートを決めるための位置が自分にピタッとくる瞬間があるんだ。どの位置からボールを離せばいいかの起点が、ホントにある瞬間分かるもんなんだよ。これはやり切った人間でしかわからない感覚。とてつもない数の練習や時間が必要だということだよ。だからそれを獲得した俺たちだからこそ、いま練習しなくても、ちゃんとシュートは入るだろ!」というお話しでした。

日本バスケットボール界のトップで活躍されてきたお二人の、ジェスチャーを交えてのお話しに吸い込まれるくらい熱量のあるお話しで、私にとってはとても新鮮で、一流と言われる人たちは、本当に普通の人の練習と比較にならないくらい半端ない数の練習と計り知れない程の人生の時間を費やして技術を身に付けていくのだな~と圧倒されました。

そして、こうも仰っておられました。「それを、選手たちが意識するかどうか、だね。意識するかしないかの違いは大きくて、意識せずに練習しても時間だけかかる。どうすればまっすぐシュートが入るか、どんな位置や体勢がいいか、常に意識して考えて練習することだよ。これが大事なんだよね。」ということでした。

私はこれまで、一途に誰にも負けないくらいの数をこなして、何かをし続けてきたことはなかったな~と思いました。ただ、自分なりに頑張った!と今でも自信になっているのが、中学校時代の勉強と高校時代の部活動です。
中学校時代の勉強は、毎夜7時から11時まで!と4時間と決め、数学の練習問題、英語の単語スペルの練習は、繰り返しやった記憶があります。ただ、自分のご褒美としては週に1回の日曜だけは勉強しない日と決めて一週間のパターンを作っていました。
そして、高校時代は陸上競技部に所属し、短距離、100m・200mを専門としていました。放課後になると、重い教科書が入った鞄とジャージ袋を持ち、学校から40分ほど離れた市営の陸上競技場まで毎日歩き、クタクタになるまでグラウンドで走り、寮へ帰るという繰り返しでした。今では、考えられないくらいの距離を往復して部活動していたことが、この年になっても体力面での自信につながっています。
数をこなすことの大切さを思い出させてもらえた時間となりました。

たぶん、皆さんも今、一所懸命に取り組んでいる活動があると思います。やっている人は意識して数をこなすことに取り組むことができれば、成果が出てくるかもしれません。また、何もやっていない人もこれからでも遅くはなく、気付いた時がスタート!と思って、何か意識して取り組んだら良いのかもしれません。皆さんにとっては、それが部活動かもしれないし、勉強かも知れない・・・数をこなすことを考えて実践したなら上のステージへ向かう可能性は大きいはずです。何もやらない日を続けて人生を送るか、何かをやって何度もやって、何かを見つけるか?は意識する皆さん一人一人だと思います。

さて、二つ目のお話し、生きていることについてです。
対面での集会が少なくなって、このように放送でお話ししますが、毎回、皆さんに伝えているのが、「生きていることは奇跡的なことで、人生それだけで満点です。」
ということです。
皆さんは一人一人、この世に生まれてきた意味があります。意味のない人はいないし、どのような人生であっても無駄なことは何ひとつありません。時に失敗もするし、思うようにいかないこともあるし、逆に、とっても嬉しいこともあるしイロイロです。
特に、学校と言うところは「間違える場所」です。あえて狙って間違える必要はありませんが訓練の場です。社会に出てから、罪を犯して警察のお世話にならないよう、他人様に迷惑を掛けないよう、小さな間違いから学んでいく場所が学校なんです。生きているということは、その繰り返しです。

さて、生きている皆さんにとって「いのちとは何ですか?」という質問をしたら、きっと答えはさまざま出てくると思います。どれが正解ということはありません。それぞれが「いのち」とは何かを真剣に考え、生きていることの意味を探ろうとする試みやその時間こそが正解であり貴重なことだからです。

私は、「いのち」とは、実はこんな風に解釈できるのでは?と考えています。
日本語の言葉には言霊というほかに音霊があり、一つ一つの音には意味があると言われています。「命」をひらかなで書くと、「い」は「生きる」という意味、「の」は接続の「の」、「ち」は「知恵」と解釈できます。つまり「いのち」とは「生きるための知恵」ということになります。
朝起きたら「おはようございます!」と言うこと、食事をする時は食べ物や作ってくれた人に対して感謝し「いただきます・ご馳走様でした」と言うこと、玄関で靴を脱いだら振り返ってしゃがみ、靴を揃えること、お客様をお見送りする時は姿が見えなくなるまで「ご無事に!」と祈ること、モノやことや人に対して「有難う」と言うこと、ご先祖様に手を合わせ拝むこと、など、長い日本の歴史のなかで、家庭で躾けられてきた礼儀作法そのものが、「自分以外の人と仲良く生きて共存するための知恵」だと思うのです。これを継承することがまた、人や国そのものが生き抜くための知恵になるのかも知れません。

みなさんは、毎日の学校生活の中で、生きる知恵である「挨拶」や「感謝」を言葉にして過ごしてくれています。近隣の方々がいつも褒めてくださるのは、皆さんの礼儀正しいふるまいや所作です。体育大会の行われた恵庭市総合体育館の皆様からもお褒めいただきました。F高のみんなが、生きるための知恵の一つである「挨拶」をしっかりしてくれるから、周りも気持ちよく、それぞれのいのちを輝かせるのだと思います。
体育館の皆様も笑顔で迎えてくださったり、体育館使用の許可をくださったりするのにも、皆さんの行動が生きています。本当に有難いことですね。

さて、あすから5日間の学期間休業(通称:秋休み)となります。この期間、何の数をこなしてどのように意識して過ごしますか?そして、改めて「生きるための知恵」「命」を考えお家の中でも行動して欲しいのです。

そして、新型コロナウイルス感染・流行第7波の影響を受けた人たちも多く、その後遺症で悩んだ人もいるようです。若い人は軽症だからといって安心はできません。
このあとは大切な大会や演奏会、進路実現に向けた試験など、挑戦の日々が続きます。
是非、一人一人が家族の一人、集団の一人であるという自覚を持って行動し、有意義な学期間休業にしてくれるようお願いします。

また、この季節、朝晩の気温差が大きくなりますから、体調管理には十分に気を付けて過ごしましょう!

生きていることは奇跡的なことで、人生それだけで満点です。」

それでは、令和4年度 前期、本当に有難う!
後期の始まり、10月3日、また、元気な笑顔で会いましょう!

これで、前期終業式の講話を終わります。